鹿児島フリーライターのブログ

横田ちえのブログです。

九州で最後のうどん・そば自販機 43年現役稼働を続けてきた「阿久根商店」の思い出

次々と消えていく全国各地のレトロ自販機。2020年5月31日には埼玉県行田市にあるレトロ自販機とレトロゲームの隠れた名店・オートレストラン「鉄剣タロー」が多くの人々から惜しまれつつ32年の営業に幕を閉じた。

f:id:kirishimaonsen:20210623011439j:plain▲阿久根商店のうどん・そば自販機(2020年7月撮影)

鹿児島県南さつま市の阿久根商店には「九州で最後」「日本最南端」と言われるうどん・そば自動販売機があった。1978年に設置されて以来43年の長い間訪れた人々の胃袋を満たし寒い冬には体を温めて続けてきた。しかし運営元の製麺所を営む阿久根商店が廃業したため2021年6月21日に自販機は撤去された。

f:id:kirishimaonsen:20210623011454j:plain▲自販機で提供されるうどん。麵は自家製麺で、つゆもかき揚げも手作りだった

自家製麺や手作りのつゆ、かき揚げが好評で「おいしい」とファンの多いスポットだった。もうないのは寂しいけれど、ひとつのものが役割を全うして消えていくのはごく自然なことなのだろう。

むしろメーカーが1995年に製造を中止してアフターサービスも終了した機械が、その後25年にもわたって稼働し続けたことがすごいことだと思う。アフターサービス終了後、機械の故障やメンテナンスの理由などから、うどん・そば自販機は全国各地で続々と失われていった。

だからこそ、ここで稼働していた頃の様子を記録にとどめておきたいと思う。コンビニもなかった時代の深夜の心安らぐ場所であり、誰かと集える場所だった。そこにはささやかな憩いがあり、懐かしい思い出や在りし日の地域の姿があった。

お金を入れて25秒 めんを湯切りしてだし汁を注いで作るうどん

f:id:kirishimaonsen:20210623011503j:plain▲「阿久根商店」は南さつま市の国道226号線沿いにある

私が2020年7月に利用した時の画像で紹介する。 

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ドリンク類の自動販売機と並んで、うどん・そば自動販売機がある。「阿久根商店」は食べ物と飲み物で小休止できる場所だ。(※現在もドリンク類の自販機は稼働中)屋外にあるので、売り切れていなければ24時間いつでも利用できた。
 

f:id:kirishimaonsen:20210623011540j:plain350円を投入して購入。昔はそばも提供していたが、装置が故障してうどんだけの運用となった。

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お金を入れると、機械の内部ではお湯を麺に注いで回転しながらほぐして湯切りを行う。そして適温になった麺にだし汁を注いで下の取り口から出てくる。その間なんと25秒。利用したことがある人ならわかるだろうが、汁をたっぷり入れてくれるので、出てくるとき勢い余ってちょっとこぼれちゃうのはご愛敬だ。

麺を湯切りして調理するところ、だし汁は後から注がれるところがカップヌードル自販機と大きく違う点で、おいしさの一因だ。その分動きも複雑になるため、機械の故障も多かったようである。

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後ろを振り返れば緑が眩しい南薩の夏。この環境で食べるのもおいしさの一要素だった。

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食べる場所は立ち食いカウンターと、横のテーブルコーナーがある。

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容器を覆い尽くすほど大きな存在感のあるかき揚げ。かまぼことさつま揚げも入っていて、どれもが阿久根商店の自家製だ。甘いつゆを吸ったかき揚げのやわやわ感が最高だ。

f:id:kirishimaonsen:20210623011450j:plain▲うどんはほどよいコシがあり、喉越しもよくおいしい

昔は10%の確率で自家製チャーシューまで入っていたのだとか。全国各地にあったうどん・そば自販機は、食材のセッティングはそれぞれの運営元で行うので、それぞれの特色があり、だからこそファンの間で各地の自販機を回る楽しみがあるのだろう。

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温かいうどんを食べてじんわりと汗をかいたところに、窓から吹き抜ける風が涼しかった。

 

釣り人が温まり、深夜に若者が集った

阿久根商店がうどん・そば自販機を設置したのは1978年(昭和53)に遡る。当時のことを、南さつま市の老舗醤油店「丁子屋」の宮本佳春さんはこう語る。

「設置された1978年当時から通っていました。コンビニも何もない時代に24時間利用できたからすごくありがたかったです。釣り仲間同士でよく利用していました。自分たちは14時ごろ釣りに出て、小腹が減った夕方に食べて帰る感じです」

「阿久根商店」のある226号線沿いは東シナ海に面しており、枕崎方面に向かって南下していくとリアス式海岸と豊かな漁場が広がっている。近くには小湊漁港や野間池漁港があり、釣り客が行き帰りに立ち寄りやすい場所だった。
 

f:id:kirishimaonsen:20210623013017j:plain▲海岸沿いの道には「南さつま海道八景」があり、絶景スポットが多いことで知られている。絶景を求めて訪れるバイカーやサイクリストにも「阿久根商店」は人気だった。写真は坊泊漁港

当時はうどん・そば自販機のほかに、ハンバーガー自販機、おにぎり自販機などもあってバリエーション豊かだったという。近くに車を停める空き地があり、夜の21時すぎ頃になるとたむろしている若者もいたそうだ。今でいうコンビニ前に集うような感覚だろうか。

また、同じころ小湊漁港にもラーメン自販機が設置されていた話を聞いた。ここでも釣り人達が釣りをして体が冷えたりお腹が減ったりしたらラーメンで温まっていたのだろう。しかし、2003(平成15)年頃にはもうなかったという。

「中途半端な時間でも利用できるし、釣りシーズンは冬だからあったかいもんがうれしかったです。出来立てでおいしいし。たまに夜小腹が減って、家から走って食べに行ったりしていましたね」

  

深夜に働く人たちの癒し

うどん・そば自販機の正式名称は「富士電機めん類自動調理販売機」で、1975(昭和50)年に開発・量産化された。この機械の開発当時はどのような需要や目的があったのだろうか?

メーカーの富士電機株式会社に問い合わせたところ、詳しい資料が残っておらず当時の販売台数、販売先、地域特性など細かいことはわからなかったが「カップ式自販機・瓶・缶自販機等の飲料自販機以外に食品自販機・物品自販機等を開発しラインナップの拡充を図っていたようです」と回答してくれた。

日本に飲料自販機が登場したのは1962年。アメリカの大手飲料メーカーが日本に進出し、1967年には100円硬貨が改鋳されて硬貨が大量流通することで、飲料自販機は使いやすくなりさらに広まっていく。(参考:一般財団法人全国清涼飲料連合会「自販機の歴史」

さらに高度経済成長期を経て、日本の夜は明るくなっていた。深夜に働く人たちが増え、夜どこにも食べに行く場所がない人たちにとって、自販機の飲み物はありがたく、さらに食べ物の需要もあった。

f:id:kirishimaonsen:20210623013349j:plain▲指宿の夜景

うどん・そば自販機は、高速道路のサービスエリアやパーキングエリアなどにもよく設置された。現在はうどん・そば自販機の姿はもうほとんど見ないが、さまざまな飲み物や食べ物の自販機が揃うスポットだ。深夜に長距離移動をするトラック運転手にとってほっと一息つける癒しである。

 

24時間いつでも訪れる人たちを受け入れてきた「コミジョイ」

阿久根商店のうどん・そば自販機は、設置された昭和から平成、令和と、43年にわたって稼働し続けてきた。

これだけ長い間稼働を続けたのは、自販機を阿久根商店社長自らが修理を行っていたことによる。1978年ここにうどん・そば自動販売機を設置した頃、その他県内各地にも同じ機械を設置した。合計で6カ所。その後故障したものから部品を移植して、メンテナンスを続けてきた。

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「阿久根商店」のことを、地元では「コミジョイ」の愛称で呼ぶ。これは24時間いつでも営業しているファミリーレストラン「ジョイフル」にちなんだ「小湊のジョイフル」からきている。中高生たちにも人気で、学校や部活帰りにちょっとおしゃべりをしてうどんを食べたり飲み物を飲みに立ち寄る場所だった。24時間営業のファミリーレストランのように、「コミジョイ」はどんな時間帯に訪れる人のことも受け入れ、寄り添ってきた。

南九州市川辺在住、南さつま市勤務の原田さんは「関西に長くいて鹿児島に戻ってきたころ、噂を聞いてすぐに訪れました。みんなが「コミジョイ」っていうから何のことかと思っていた」と話す。

「冬の仕事帰りに助かる存在でした。小腹減ったな、寒いからあったかいもの食べたいなって時に、あつあつでボリュームたっぷりのうどんが食べられました。製麺所の麺だから本格的だし、つゆもおいしかったです」

f:id:kirishimaonsen:20210623013556j:plain▲このひたひたにたっぷり注がれたつゆが最高だった

懐かしく思い出される地域の名スポット

このうどん・そば自販機は、訪れた人にさまざまな思い出を残してくれた。

f:id:kirishimaonsen:20210623013811j:plain南さつま市の海岸沿いへ行くときによく通った道。雄大金峰山と周囲の田園風景が印象的な、どこか懐かしさを感じる風景

南さつま市は鹿児島県の西南端にある。入り組んだリアス式海岸雄大金峰山を望む風光明媚で美しい土地だが、観光地としての知名度は低く訪れる人の数は決して多くない。そして、多くの地方の例にもれず、少子高齢化・過疎化が進行する土地である。

それでも、この「九州で唯一」「日本最南端」のうどん・そば自販機を目指してやってくる酔狂な人たちも多くいた。ここは間違いなく地域の名スポットだった。

記憶の中で思い起こされるとき、ある人は自分の青春時代の部活帰りの同級生との時間を、ある人は深夜の仕事帰りの癒しの時間を、ある人は釣果に喜んだ帰り道の時間を、またある人は遠路はるばる目指してやってきた旅の時間を、この自販機とうどんと共に懐かしく思い出すのだろう。

私も数回訪れた時のことを懐かしく思う。特に夏が印象的で、道中通った道沿いの風景や、南薩特有の草の匂いと湿気を含んだ空気のことを強く覚えている。

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撤去されたうどん・そば自販機はどこへ行ったのだろうか? まだ稼働していたし、ファンの多い貴重なレトロ自販機だ。廃品処分されたのではなく、どこかに買い取られて再び稼働するのではないかと、またどこかで再会できるのを期待している。もし新しくうどん・そば自販機が設置されたのを見かけた人がいたら、ぜひ私にも教えて欲しい。

 

 
(取材・文/横田ちえ)

参考資料:
富士めん類自動調理販売機PDF
2019年5月16日付朝日新聞「うどん自販機 レトロ感も味」
一般財団法人全国清涼飲料連合会「自販機の歴史」