鹿児島フリーライターのブログ

横田ちえのブログです。

貝殻の中から聞こえてくる美しく力強く不思議な自然 古川美年生さんコレクションの魅力と取り扱い文化施設一覧

半生をかけて貝殻の収集・研究に没頭した古川美年生さんという方がいます。「東洋経済オンライン」に寄稿した記事でその生涯を追いました。


toyokeizai.net


記事の中ではあまり貝殻の紹介ができなかったので、こちらのブログで貝殻の魅力を紹介したいと思います。古川さんの標本を訪ね歩いて取材する中で、私は「こんなにも鮮やかな色、ユニークな形の貝殻が海の中で生み出されている」ということに感動を覚えました。


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また、古川さんの標本が見られる文化施設の情報も記事の最後にまとめてあります。もしこの記事を読んで貝殻に惹かれるものを感じたら、ぜひ古川さんの標本を見に行ってみてください。


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▲小学校に標本とともに寄贈した古川さんの言葉。“美しい自然、ふしぎな自然、力強い自然が、貝殻の中から聞こえてきます。”


美しい色彩・形・つやで収集家から愛されている「タカラガイ


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多種多様な模様につや、色彩豊かな美しい殻に覆われたタカラガイ。貝殻の花形として収集家から愛されています。貴重な深海産タカラガイの中には一個十万円を越える高価なものもあるのだとか。


日本では沖縄や奄美大島などの暖かい海の珊瑚礁に多く生息しています。海水に溶け込んでいるカルシウムを貝が取り入れて、外とう膜によってこの美しい殻は作られています。


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▲ジャノメタカラガイ


まるで蛇の目のような模様。自然の造形の巧みさに驚嘆せずにはいられません。


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▲ハチジョウタカラガイ


とりわけつやと光沢が美しいハチジョウタカラガイ。黒と金のコントラストがまるで蒔絵のようです。


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▲キイロタカラガイ


キイロタカラガイは昔、中国やアフリカ、インド、太平洋諸島などで通貨として使われていました。当時の墓からこれらの貝殻が出てくるのだとか。貝殻から見える人類の文化も興味深いですね。


桃色が可憐な「サクラガイ」


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古川さんは、サクラガイが特に好きだったらしいです。菱刈郷土資料館にはたくさんのサクラガイを収めた絵画のような標本の展示があります。生涯で一体どれだけの数のサクラガイを集めたのでしょうか。


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サクラガイには多くの種類があるようで、どれも美しい桃色が独自の存在感を放っています。サクラガイって、海岸で見つけると宝物を見つけたみたいにときめきますよね。子どもの頃夢中で探したのを思い出しました。


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▲ヒガンザクラガイ


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エドザクラガイ


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▲カバザクラガイ


さまざまな名前のサクラガイが標本に収められていました。海のものである貝殻に、山里に咲く様々な桜の名前が付けられることに何だかロマンを感じます。


驚くほど小さくて細かい貝殻たち


「どうしたらこんな細かい貝殻を見つけられるのだろう」と驚くような微小な貝殻たち。古川さんの標本にはそんな貝殻がたくさん収められています。砂浜に張り付くようにして探したのでしょう。


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▲コメツブガイ


大きさ3~5mm程度のコメツブガイ。並々ならぬ情熱がないと、こんな見つけることはできないと思いました。


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▲ササノツユガイ


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▲ウキヅツガイ


ウキヅツガイは筒の形をしています。すごく薄くて壊れやすく、大きさもわずか6~7mmくらい。傷がつくとすりガラスのように白っぽくなる貝殻で、このように透明感が残っているのは採取や扱い方の方法がすばらしいことの証拠ですね。


ユニークな名前の貝殻たち


地球上のありとあらゆる植物や動物、物事に共通点を見出して名付けられた貝殻も多く、その形と名前を見ているだけでも楽しいです。どんな気持ちで名前を付けたのかな、と想像が膨らみますね。


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▲ツバメガイ


まさにツバメのような形をしています。かわいいですね。


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▲タケノコガイ


たしかにタケノコっぽいかもしれません……!


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▲テンシノツバサガイ


流れるような曲線に羽根のような模様の、この真っ白な貝殻に「テンシノツバサガイ」という美しい名前が付けられています。英語名の「angel wing」を訳したものです。


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▲カゲロウガイ


この透明感のある貝殻に、儚い命のカゲロウを重ねたのでしょうか。


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▲クチベニガイ


貝殻の内側が薄いピンク色をしています。その名前の通り、口紅を塗ったような貝殻です。この標本は淡い色合いですが、もっと鮮やかな赤色をしたクチベニガイもあるようです。


太古の昔から生き延びてきた「ハマグリ」


私たちが普段何気なく食べているおなじみのハマグリ。古川さんの『貝の不思議』によると、ハマグリは縄文時代貝塚の中からも多数見つかっており、太古の昔から人類にとって貴重な食糧でした。内湾性の河口に近い砂泥地に生息し、堆積した食べ物や海流で運ばれてくるプランクトンを食料にしています。


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海流の荒れや外敵から身を守るため、安全な砂の中で生活できるように殻やからだのつくりを変化させてきたハマグリは、太古の昔から多くの生物が絶滅する中で、環境にうまく適応して何億年も生き延びてきた生物です。


そんなことを知るとハマグリに対する見え方が変わります。しかし、古川さんはこんな風に書き残しています。

今日、潮干狩りをしてもハマグリ・アサリがほとんど見つからないのは寂しい限りです
                      -月刊シルバー・エイジより


何億年と生き延びてきた生物が減りつつある現代、昨今の地球規模の環境変化のスピードがとてつもない速さなのだと感じられます。


【参考】古川さんのコレクションが見られる施設


菱刈郷土資料館(伊佐市菱刈ふるさといきがいセンター2階)


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古川さんの標本が一番たくさん見られるのはこの施設です。1600種3300個の貝殻コレクションがずらりと並んでいます。


住  所:鹿児島県伊佐市菱刈前目2019番地2
開館時間:火曜~土曜 9:00~18:00
      日曜    9:00~17:00
電話番号:0995-26-3000
休館日:月曜休館(月曜が祝日の場合は開館で、火曜が休館)
料金:入場無料



鹿児島県立博物館

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1269種の貝殻コレクションが鹿児島県立博物館3階の学習情報室の棚に収蔵されています。棚ごとに番号が振られており、貝殻の名前から検索できるようになっています。古川さんは定年後、ここで学芸指導員として働いていました。


住所:鹿児島市城山町1番1号
開館時間:9:00~17:00(入館は16:30まで)
電話番号:099-223-6050
休館日:月曜(祝日の場合は翌日)、毎25日(土日開館)、年末年始(12/31~1/2)
料金:入場無料 ※プラネタリウムは有料
https://www.pref.kagoshima.jp/hakubutsukan/



霧島市立隼人図書館


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霧島市立隼人図書館の入り口に8つのショーケースが展示されています。私が古川さんの標本に出会ったのは、実はここです。


住所:霧島市隼人町内山田1丁目14-76
開館時間:平日10:00~19:00、土日祝9:00~17:00
電話番号:099-223-6050
休館日:月曜(夏休み中は開館)、年末年始(12/29~1/3)、特別整理期間12月中に10日間
料金:入場無料 
https://www.lib-kirishima.jp/contents/?page_id=44


伊佐市立大口図書館


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535種886個の貝殻コレクションが展示されています。また、大口ふれあいセンター4階には、大口歴史民俗鉄道記念資料館もあります。


住所:伊佐市大口里2845-2(大口ふれあいセンター2階)
開館時間:9:00~18:00、日祝9:00~17:00
電話番号:0995-22-0417
休館日:月曜(祝日の場合は翌日)、年末年始(12/28~1/4)
料金:入場無料 
https://www.pref.kagoshima.jp/suisuinavi/24999.html

海と崖の間「秘境駅」近くで 45年間営業を続けてきた竜ヶ水そば 店主小浜さんの人生ドラマ

特異なロケーションにある店が気になって仕方がない。「どうしてここに?」と思われるような変わった場所に店を構えながら、当たり前に客が出入りし、長年商売が成り立っている店がある。


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そんな店のひとつが鹿児島県鹿児島市にある「竜ヶ水そば」だ。背後は切り立った崖が10キロも続き、眼前には錦江湾桜島を望む。国道10号とJRが、崖と海の間の細い海岸線に沿って走っている。


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まるで陸の孤島のような隔絶された雰囲気だ。周辺の人家はわずかに点在するだけで、近くの竜ヶ水駅無人である。鹿児島市の2016年統計「鉄道の乗降客数」によると、年間1000人程度の利用しかない。秘境駅とさえ呼ばれている。


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竜ヶ水駅。「海の見える駅」の別名がある美しい景色だ。


しかしこの海沿いは、県の東側から鹿児島市街地へと繋がる主要道路であるため、車の往来は極めて多い。朝夕の通勤時間帯には渋滞になる。そうして多くの人たちが行き交う一方で、あくまでも通り道であるため「竜ヶ水そば」を横目に過ぎる人がほとんどだ。


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▲上空から見ると、竜ヶ水そば周辺は、都市と都市の間にあることがよくわかる


この地で、店主は一体どんな風景を見てきたのだろう? 店の佇まいからしてその歴史は古そうだ。話を聞こうと期待を胸に、蕎麦屋の暖簾をくぐった。


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うまさの決め手は出汁と眺望にあり


昔懐かしい昭和の趣を感じる店内には、カウンター6席、テーブル1席、座敷4席がある。私は座敷に腰を下ろした。


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メニューはそばとうどんがメイン。お腹が空いていたらいなり寿司も合わせて頼むのがおすすめだ。出汁をたっぷり含んだジューシーな揚げがたまらない。


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▲肉そば600円を注文


注文して運ばれてきた肉そばには、なんとうどんまで入っていた! 「あったから入れといたよ」とのこと。写真では見えづらいが奥の方にそばもしっかり入っている。そばは十割で太くて短めのいわゆる田舎そば。2年前くらいに訪問した時は漬物がたくさん出てきた。そんな風に+αがいろいろ出てくる店だ。


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透き通った出汁は鹿児島らしく甘く、でも決してくどくはない。澄んだ味わいの出汁に甘辛く炊いた肉や刻みネギがよく合う。そこに、ツユをたっぷり吸ってふくらんだ天ぷらの衣がいい具合にほどけてくる。スルスルとお腹に入る。どのうどん、そばにもかならずさつま揚げをのせるのが店のこだわりだ。


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食べている合間にふと顔を上げれば、桜島が見える。この眺望に、この味、うまくないわけがない。


学校閉鎖、8・6水害 人が減っていく


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お腹が満たされたところで、店主の小浜正光(77)さんにお話を伺った。


「このあたりは昔もっと人がいたの。花倉(かくら)、三船、竜ヶ水で250世帯くらい。近くに龍水小学校があってね。自分の頃は300人くらい通っとった。でも昭和45(1970)年に廃校になってね。学校がなくなると若い人が出ていくね」


さらに、忘れもしない平成5(1993)年の8月6日に発生した集中豪雨、通称「8・6水害」。竜ヶ水ではがけ崩れや土石流が相次いで発生し、道路や鉄道が寸断され完全に孤立した。取り残された人々は、桜島フェリーや漁船、海上保安庁による救援などで海側から救出される。住宅や道路の被害は大きく、避難した人の多くは自宅に戻らず市営住宅に移り住むなどして、多くの人々が去っていった。


この日小浜さんは奥さんと共に宅配便の手配で、16時ごろに店を出ていたため難を逃れた。翌日、約5キロの道のりを歩いて店の様子を確認しに行ったという。


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▲堤防の高さまで土砂と水で埋まっている(写真撮影:小浜正光さん)


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▲真ん中に竜ヶ水そばの店舗がある(写真撮影:小浜正光さん)


「堤防伝いに進んで、ここに来て店が見えた時はあった!っちゅって叫んだね」


店の前にあった飲み物の自動販売機は流され、店内には土砂が大量に入り込んでいたが、なんとか持ちこたえてくれていた。それから4カ月かけて土砂を出し、修理して復活へこぎつけた。


「通りがかるみんながよ、ジュ-スくれたり気にしてくれて」


戸籍がモノをいう


8・6水害前の小浜さんの人生も波乱に満ちていた。水害から遡ること50年、昭和18(1943)年に小浜さんは生まれた。国鉄職員として赴任してきた父と鹿児島の母の元に誕生したが、父には郷里に婚約者がいたため2人が結婚することはなかった。小浜さんは実母の兄の戸籍に入る。時代は戦争の最中だった。


「空襲の怖さとあの音はなんちゅうかな、体に染み込んでいる。夜中にぶわーんって通るの。怖い目におうた人は一生忘れないね」


わずか2歳頃の記憶でさえ、熱にうなされると悪夢として思いだされたという。戦争の傷跡は深い。戦時中赤十字で働いた養父は、そこで酒の代わりにメチルアルコールを飲む習慣をつけてしまい、体を悪くてしてわずか36歳の若さで亡くなった。小浜さんが5歳ぐらいの頃だ。


小浜さんは祖母に育てられた大のばあちゃん子。しかし疎外感を感じたこともあった。


「葬式とかで親族が集合した時に写真撮影をすると、戸籍通りに並ぶの。そうすると俺はどこにも入れないの。蚊帳の外。2回味わった。戸籍がモノを言うね。でもそんな風に揉まれているからか、なんちゅうかね、逆に人を疑うことも、憎むこともしないよ」


かつては便利だった竜ヶ水


少年時代は、竜ヶ水の大自然の中で力いっぱい遊んだ。


「道路から海に飛び込んで、ビナとか食べられる貝を採ってね。ほじって炒めたらそれでおかず。ばあちゃんがしてくれよって、そんなんばっか食べてた」


当時の竜ヶ水は今のような交通量でも道路でもなく、子どもたちがのどかに遊べる場所だった。海も青く澄んで美しかったという。



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「ここに来たら、まずお金はなくても暮らせるっちゅうのがあった。なんも不自由せんち。この集落の祖先は崖上の吉野大地から降りてきた。便利な場所だから。海もあるし船で移動できる。そんころは船よ。桜島鹿児島市街地へも船で行ったり来たり」


集落の成り立ちが便利さにあったことに驚いた。私は竜ヶ水を崖と海に囲まれ、梅雨時は土砂崩れの恐れのある、住むには不便な土地と思っていたからだ。


しかし、時代を少し遡れば様相は変わってくる。今のように自家用車は普及しておらず、当時の自給自足に近い暮らしを考えると、便利さの基準は全く違う。標高約300メートルの崖上の吉野大地よりも、海の幸や船でのアクセスがある竜ヶ水は便利だったのだ。


私はこのことに深い衝撃と感慨を覚えずにはいられなかった。土地の見え方がまったく変わってきた。


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竜ヶ水駅に展示されている絵。赤丸の部分が竜ヶ水と吉野大地を結ぶ道だ


当時は崖上標高300メートルの吉野大地と竜ヶ水を結ぶ道が、急斜面の山肌を縫うように続き、人々は馬に荷をのせて行き来していた。その道の跡は8・6水害の影響もあり、現在はほぼ通れなくなっている。


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身一つで切り開いてきた自分の居場所


中学を卒業した小浜さんは薩摩人形を作る工房で働く。5年間の奉公で祖母に小さな家を建ててあげることができた。その後、丸屋デパート(現:マルヤガーデンズ)の板場、水道工事、日野自動車内の社員食堂運営を経て昭和50(1975)年、32歳の時に独立して竜ヶ水そばを構えた。


「海から石を上げて基礎を作って、水道の配管は全部自分でして。中学しか出とらんけど、どこが壊れても全部自分でできるの」


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▲創業当時の写真


看板も自作。道路に看板を建てるのは違法だったので、トラックの上にのせて店の前に停めて人目を引くよう工夫した。「これならひっかからん。法の盲点や」と小浜さんは愛嬌たっぷりに笑う。


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▲そばをのせる台も手作りだ。「器用貧乏っちゅうんだよ」と小浜さん


メニューをうどん、そば中心にしたのは、原価の安さから十分な利益が見込めると考えたから。麺の打ち方は独学で学び、出汁の引き方は丸屋デパートでの板場の経験が役に立ったという。


その間に丸屋デパートで同僚だった奥さんと結婚し、長女、次女が生まれていた。当時は店舗の裏に6畳一間の小さな自宅があり、奥さんと2人、店に子育てにと奮闘した。そして時代はバブル景気へ。


「よか時代やった。なんぼ使っても入ってくる時代で。天文館からお客さんがたくさん食べにくるの。朝は8時半に店を開けて、夜中の2時まで営業しよった。垂水の方からは、ハマチの養殖しとる若者が、車で天文館までナンパしに行った夜遊びの帰り道に寄ってね。遊びに行く人ばかりやった」


店で稼いだお金で隣の姶良市に新しく家を建て、奥さんと共に1男3女を育て上げた。今はローンも土地を買ったお金も全部返して気が楽だと言う。


「今は健康が一番。生まれてすぐ亡くなる子もいるが。ここまで生きたんだから、儲けものなのよ」


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▲店内に孫の書いた絵が飾ってあった。「頭のよか子でね」と小浜さんは目を細める


令和2(2020)年の今年、創業から45周年。長年通っている常連さんも多い。小浜さんと40年来の付き合いの西堂路(にしどうじ)さんは店の魅力を「なんだろうね。奥さんもご主人もすごく人がいいやんか。それでずっと通っているね」と話す。


何度か店に通う中で、居合わせたお客さんの多くはカウンター席に座っていた。桜島を望む眺望抜群の座敷がありながら、皆そこにはあまり座らない。小浜さんと言葉を交わすことを楽しみに訪れているのだと思う。私も取材を通してカウンターに座るようになった。


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▲この時は山かけそば600円を注文。横のそうめんはまたしてもサービスだ。常連さんにも振舞っていた


かつて親族の写真撮影では蚊帳の外に置かれた小浜さん。今や「竜ヶ水そば」では、小浜さんを真ん中に多くの人が集まる。庇護してくれる大人が多かったとはいえない幼少時代を送った小浜さんが、身一つで切り開いてきた自分の居場所だ。


会いたい人と写真を撮っておくことよ


しかし45年という月日は長い。常連客の中には鬼籍に入った方もおり、昔からの顔なじみは減ってきた。


「だからやっぱり会いたい人とは会って写真を撮っておくことよ。会えなくなるよ。どんどん店も人もいなくなる」


跡を継ぐ人はいないから、「竜ヶ水そば」は小浜さんの代で終わる。そして、そう遠くない未来に、竜ヶ水周辺に住む人はいなくなるのかもしれない。そうすると竜ヶ水駅も廃駅になり、この地域の様相はさらに変わっていく。


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かつては海の幸と船でのアクセスに恵まれ、暮らしやすかったこの土地。時代の変化と共に、便利な場所は変わり、人は移りゆく。それは、少しの寂しさはありながらも、人が生きている限り変化するのと同じようにごく自然なことで、決して悲しいだけのことではないのだと思えた。


一杯のそばから、竜ヶ水という特殊な地域の歴史と店主の生きざまに触れることができ、不思議な余韻に包まれている。


「今度は秋においで。寒さがバンときたら、香りと甘みのある蕎麦粉が取れる。一番おいしいのは10月すぎかな」


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(取材・文/横田ちえ)

深夜のフェリー便でしかたどり着けない離島へ トカラ列島中之島旅行記・前編

フリーライターという仕事柄、「今まで行った場所でどこが一番ですか?」とよく聞かれる。それぞれ好きなポイントがあるし、気分や目的でどこが一番かは変わるから答えるのは難しい。


でも、あえて夢中になっている場所を挙げるとすればそれは離島だと思う。それも限られた交通手段でしか行けない、海の遠くの……。


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私が住む鹿児島は、南北600キロメートルもの広さに県土が広がっている。離島の数は全国で二位、離島人口でいえば全国一位。海で隔たれた離島は、独自の生態系や環境が発達していて、訪れるたびに心揺さぶられてしまう。熊本や宮崎と陸で続いている鹿児島本土のエリアとは全くの別世界だ。いまだ見たことのない世界が、海の先には広がっている。


去年2019年の12月に、そんな離島の中でも、とりわけアクセスしづらいトカラ列島中之島を訪れた。空路も陸路もない、交通手段は週2~3便のフェリーだけ。隔絶されて独自に発達した生態系も手伝って、トカラ列島はテレビや雑誌で「最後の楽園」「最後の秘境」などと表現されている場所だ。


■深夜の港を出発 トカラ列島中之島


夜の鹿児島港へ。静かな夜の港は、潮の匂いがいっそう強く立ち上ってくるようだった。


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トカラ列島行きのフェリーは23:00に鹿児島港を出港する。そして翌日5:00にトカラ列島の玄関口・口之島へ到着。そこから中之島諏訪之瀬島、平島、悪石島、小宝島、宝島とトカラ列島有人島6島に立ち寄り、最後は奄美大島の名瀬港へたどり着く。


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フェリーとしま2は総トン数1,953。全長 93.47m、全幅 15.80m、航海速力 19ノット、旅客定員 297名の大型客船で「フェリー界のベンツ」なんて言われたりもしているらしい。横ゆれ減少装置(フィン・スタビライザ)搭載で、黒潮の流れのはやいトカラの海を渡るのにふさわしい機能を備えている。


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船内にはシャワーやレストラン、授乳室まで完備されていて、初めてフェリーとしまに乗ったときはこの豪華さにびっくりした。


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自動販売機ではアルコールも売られている。


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レストランには楽しそうに酒盛りをする人たちがいた。島へ帰る人、島へ行く人など、たくさんの乗船者が談笑していた。


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一番安い二等のチケット・片道6,290円で乗り込んだ。二等客室には2段ベッドが並んでいて、カーテンを閉めれば完全に自分だけの空間になる。荷物を片付けて、シーツを敷いて、あれこれしていたらフェリーが出航していた。


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看板に出てみると、夜の海に鹿児島の街の明かりが浮かび上がるようだった。


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ゆっくりと街の明かりが遠ざかっていき、暗闇と静けさに包まれる。この瞬間がたまらなく心地よい。


飛行機や新幹線で旅をする今の時代。鹿児島から東京まで飛行機で約2時間、東京から大阪までは新幹線で約2時間半ほどだ。スマホを見ているうちに、音楽を聴いているうちに、あっという間に目的地に着いてしまう。だからこそ、夜の海を渡って進むトカラ列島への旅は旅情に満ちている。

■真っ暗闇の海上からみた星空


鹿児島港を出たフェリーとしまは、桜島を通り過ぎ、錦江湾を抜けて外海に出る。


これは2年前の夏に初めてトカラ列島を訪問した時のことなのだけれど、深夜の2~3時ごろ島へ行く興奮からか、寝苦しさからか、眠れずに外の風に当たりに甲板に出てみた。


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そこに広がっていたのはまるで降ってくるような満点の星。


今までの人生で、こんなにきれいな星空を見たのは初めてだった。街の明かりもない、光化学スモックもほとんどない、360℃を暗闇に包まれた夜の海はこんなにも星空を輝かせてくれる。


人の生活圏から外れた海の上ではこんなに星の見え方が違うものか、と驚いた。あまりの美しさに、いつまでも眺めていたくなった。


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そして、夏の日の出は早い。朝5:00前には、トカラ列島の玄関・口之島へ近づいてきた。この時見た朝焼けも忘れられない。島の黒い影と山の稜線の向こうを、鮮やかな赤が染め上げていた。


トカラ列島


残念ながら今回の旅は曇り空で星は見えなかったし、冬の旅だったので日の出時間が遅く、海の上で朝日を見られなかった。でもいつかまたあの星空と朝焼けを見るために、トカラ列島へ行くと思う。


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早朝5:00に口之島へ到着。


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それぞれの島に着くたびに、大規模な荷物の積み下ろしがある。週2~3便のフェリーは島への唯一のアクセス方法であると同時に、唯一の郵送手段。フェリーのリフトが下ろされて、物資や食料、郵便物などが大量に運び込まれる。島の特産である牛が積み込まれる様子も見た。出荷されたのだろうか。


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6:00に目的地の中之島へ到着。まだ夜は明けない。港には迎えの人や運び込まれた物資をとりに来る人たちでにぎわっていた。


中之島到着


私も案内の車に乗り、暗い海沿いの道を通って宿へ。


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中之島に宿は4軒しかない。大体いつもインフラ関係の人が仕事で長期宿泊しているので、いつ行っても予約は結構埋まっている。だからトカラ列島への旅は早めの計画を立てて宿を抑えておく必要がある。私は1カ月前に予約した。それでも希望の日は満室で、予定を1週間ずらして宿泊することになった。とにかく早めの予約がおすすめだ。


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島の朝は早い。既に朝ごはんが用意されていた。

中之島の宿の食事は一泊4食。到着日の朝・昼・晩の3食と翌日の朝食まで出してくれる(お願いしておけばお昼のお弁当も)。なぜなら島内に飲食店はないからだ。宿以外で食事できるところはないので、すべての食事を宿で食べることになる。これはトカラ列島のどの島も同じだ。


■島の朝焼け


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到着時はまだ真っ暗だった空が、後に徐々に明るく。カメラを掴んで、朝焼けを見るために慌てて宿を飛び出す。


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島で見る日の出はなんだかとても特別な感じがする。


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ハイビスカスやツワブキの花が咲いていた。


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夜のフェリーに揺られて訪れたせいか、島の風や日が昇っていく様子にたまらない開放感を感じた。


(中編につづく)
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