鹿児島フリーライターのブログ

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周囲30キロの絶海の小さな孤島を巡る トカラ列島中之島旅行記・中編

前回の記事。


深夜のフェリー便でしかたどり着けない離島へ トカラ列島中之島旅行記・前編 - 鹿児島フリーライターのブログ



今回の旅のテーマを決めていたわけではないけれど、トカラ馬を見ることは大きな目的のひとつだった。


現在日本にいる馬は、ほとんどが西洋種との交配が大きく進み、日本に昔から存在した「日本在来馬」は8種を残すのみである。(北海道和種、木曽馬、野間馬、対州馬御崎馬、トカラ馬宮古馬、与那国馬)ただし、これらの在来馬も西洋種の影響は多少受けているのだとか。


私が普段馬と聞いてイメージするのは、競馬でおなじみのサラブレッドの姿だ。「日本在来馬」はどんな佇まいなのか、実際に見てみたいとずっと思っていた。


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竹の生い茂る狭い道路を抜けて、牧場のある丘の上の高尾地区を目指す。細い道を車で進むと、竹の枝がばちばちと車体をこすった。


中之島の林は、牧場などをつくるために一度草木を刈ってしまうと、もとの林には戻らず完全な竹林になってしまうのだと聞いた。竹の伸びるスピードがすさまじく速いため、他の樹木が育つ余裕がないのだ。原生林のように見える中之島大自然も、人間の暮らしの影響は確実に受けているのだと気づかされる話だった。


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高尾地区。広々とした牧草地帯。


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カラ馬の牧場はオスとメスで場所が分かれている。「男子寮」「女子寮」の表現がかわいい。向こうに見えるのは島で一番標高の高い活火山・御岳だ。


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カラ馬だ! なんだか胸が熱くなった。連なる山々を背景に、雄大な牧場が広がっている。朝の柔らかい光を受けてトカラ馬の栗毛が艶やかだ。躍動する肢体が美しい。


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カラ馬サラブレッドとは違い、どこかどっしりと愛嬌のあるフォルムをしている。か細い足で重い体を支えているサラブレッドとは違って、心持ち足もしっかりしている。安心感と愛らしさのあるフォルムだ。


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途中、メスの方の牧場に猫が侵入した。馬たちはみな一様にテンションが高くなり、じゃれるように猫のいる方向へ駆け出して行った。ちょうど餌を用意していたタイミングだったのに、食欲より好奇心が勝っていることが印象的だった。必ず餌がある安心感もあったのだろうか。無邪気な好奇心が愛らしく思えた。


しかし、ここは決して楽園ではないのだと思わされた。オス馬の牧場では、一匹のオス馬が餌を食べようとするとほかのオス馬に阻止される、といった妨害を受けていた。関係性がうまくいっておらず孤立しているらしい。


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「餌はいっぱいあって足りているのに……」とつぶやく管理人さん。


牧場には南国らしい椰子の木が揺れ、遠くに見える山々は美しい。温暖な気候で、必要な環境や食料は揃って満ち足りたようなこの牧場でも、生きていく上の困難や緊張から逃れられるわけではない。


妨害を受けながら隙を見てその馬に餌を運んでいる管理人さんの姿が、救いのように印象に残った。


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牧場を後にして、島をあちこち巡った。島には野生のヤギがたくさんいて、車を走らせていると横の茂みがガサガサ動く。生後1~2日とみられるヤギの赤ちゃんにも出会った。草食動物であるヤギは外敵から逃げられるよう、生まれて15分〜1時間くらいで歩けるようになる。


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御池(おいけ)。島の人の間では「底なし沼」と呼ばれている。鬱蒼とした緑に囲まれて、怖いくらい静かな場所だった。


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中之島港の反対側にある大木崎。向こうに見える島影は口之島だ。陸続きの土地に暮らしている私にとって、四方をすっかり海に囲まれて、海の向こうに見えるのは近くの島の影だけ、というのがなんとも不思議な感じがした。歩いて行けるのは周囲30キロのこの小さな島の範囲だけ。もちろん車や電車に乗って、ふらっと遠くへ行くこともできない。


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十島村歴史民俗資料館で見た丸木舟。


今はフェリーで本土と行き来しているが、昔の主な移動手段は一本の木をくりぬいて作られる丸木舟だった。海に囲まれたトカラの人々は丸木舟で島々を行き交い、文化を運び、魚を獲り、命をつないできた。


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浜を見ればペットボトルやプラスチックの欠片など漂着物だらけだった。中之島に限らず、鹿児島各地の浜でも見かける光景だ。


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中之島で聞いた話で印象的だったのが「ダツ漁」だ。ダツはキリのように鋭いくちばしを持った、長さ1メートル程度の細長い魚。泳ぐスピードがとても速く、猛スピードで人に向かって突進することもあるそう。そのため、ダツ漁の最中、勢いよく飛び出してきたダツが胸部にささって亡くなった人もいると。


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集落から少し離れた山奥にあった、かつて島民が住んでいた廃屋を見た。コンクリートの壁を残して解体されており、勢いよく生い茂る草木に侵食されている。入り口さえも覆い隠されていて、教えてもらわないと気が付かなかった。人が住まなくなると、家の跡地はこんなにあっという間に自然に飲み込まれるのかと感慨深かった。


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人がいなくなったこのエリアで、巨大にそびえるカジュマルが印象的だった。


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どこまでも続いていくような細い道はヤルセ灯台へと続いている。この日はあいにくの曇りだったが、晴れていたら青空に白い灯台がさぞかし映えるのだろうと思う。


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角とヒゲの立派なヤギに会った。


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灯台の先は断崖絶壁。こういう崖を見るとどうしても2時間サスペンスを連想してしまう……。


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最後に、中之島で一番標高の高い山、御岳の中腹まで車で行った。


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こうして見晴らしのいい場所から島を見ると、断崖絶壁に囲まれた土地だということがよくわかる。火山島のため地形は急峻。平地は少なめで、農業用地を確保するのにも厳しい苦労があったはずだ。


周囲30キロの小さな島だけど、1950年代に島の人口は1500を超えるほど賑わっていた時代があると聞いた。港周辺は多くの人が行き交い、遊郭もできるほどの賑わいだったという。


中之島を含む十島村第二次世界大戦後に、口之島の北緯30度線以南がアメリカ統治下に置かれ、1952年に本土復帰している。アメリカ統治下では本土と表立って行き来ができなかったので「密航」が多く行われた。


平成29年10月31日の調査では、中之島の人口は164人と記されている。


(後編につづく)